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ナラティブを終えて(その1:インプロ(即興芝居)のパフォーマンスの差し詰めの到達点と真の幕開け/ インプロとの出会い)

 

どうも、へちゃっぷりんです。

 

先日(2/23)インプロsalon×オリ色コラボ公演のナラティブシリーズの第一弾が、終演しましたが、

オリ色×インプロsalon合同公演『ナラティブ ~シンボル~』 2/23(土)マチネ・ソワレ公演ともに満員御礼の盛況のうちに終演 - インプロsalonのブログ

 

終わってみて色々と胸に去来することがあったので、ここに備忘録及び、自分の為の整理として、文章に残しておこうと思います。

 

■インプロ(即興芝居)のパフォーマンスの差し詰めの到達点と真の幕開け

・インプロとの出会い

 僕がインプロに初めて出会ったのは、新卒で入社した外資系の人材アセスメント会社を1年(3月末)で退社し、次の年度から通うことにした俳優の養成所ででした。

 当時は今から大体20年ぐらい前なので、インプロを扱っていたのは非常に先進的でした。またこの養成所はインプロの他に、メソッド演技術(NYのアクターズスタジオのあれです)〔と、海外の演技術?をもう一つ〕を扱っていて、「世界に通用する俳優を育てる!」みたいな触れ込みだった記憶があります。

 当時はバイトをしながら、週5~6で養成所のレッスンを4時間/回ぐらい受けていましたから、もう本当に芝居づけな毎日を過ごしていました。

 その養成所でのインプロのレッスンは、今でいう「インプロ・ゲーム(含むシアター・ゲーム)」をそこの講師の理解の元、やり方の説明を受けては、どんどん色んなものをこなしていく感じでした。

 ただし、このときはいわゆるインプロの哲学(orマインド)の説明もありませんでしたし、一緒にやる仲間も、これから表現の世界で生きていこうと志す面々だったので、

 みんながみんなではないにせよ、やる気のあるやつらは特に、往々にして「面白いことをして目立ってやろう」だったり「なんとかして爪痕(印象)を残してやろう」というスタンスでインプロのレッスンを受けていて、僕もそんなスタンス(むしろ筆頭に近い?)で挑んでいました。

 それはそれで楽しかったし、そもそものこの養成所でのインプロの位置づけが、あくまで脚本のある演劇での芝居をする際に、より活き活きと柔軟に演技ができるようになるための有用な手法、だったので、致し方なしかなぁとは思うし、

 その経験を経たからこそ見えたり分かったりすることもあるので、今では必要なプロセスだったかなぁと思えています。

 そして、そんな養成所でのレッスンを受けていて、僕にとって衝撃的なことが二つありました。

 まず一つ目、それは、とある台本の一場面を読み込んできて、みんなの前で実演してみる、というレッスンでの、

 当時の講師の「R(僕のこと)の演技は優等生の演技だな」という言葉でした。 ここでいう「優等生」とは決していい意味ではなく、むしろマイナスな意味の言葉です。

 どういうことかというと「セリフはしっかり覚えている」「演技のプランもしっかり脚本に沿ったものを用意してきている」「その演技が成立し、脚本を表現するのに適したキャラクターづくりをしている」けど、『それを独りでやっている』でした。

 正直、それの何が悪いのか分かりませんでした。むしろ、相手役はセリフをまだ覚えても来てなければ、脚本の理解も浅いし(というか、自分の出番だけを読んできていて、全体を把握していない)、キャラクターだってブレブレでした(少なくとも僕にはそう思えました)。

 それなのに、講師に注意されたのは僕の方でした。「え?なんで?俺はやることちゃんとやってきてるのに?むしろやってきてない相手役の方がダメなんじゃないの?」と思っていたら、次の言葉で意味が分かりました。いわく…

 「Rは相手が誰だって、どんな演技をしてきたって、今と同じことをするだろ?自分で作り込んできたことを。でもな、演技ってのは相手ありきなんだよ。相手とのやり取りから生まれてくるものなんだから。Rのやってることは相手がいないの。だからRのやってるのは演技じゃなくて、プランなんだよ。そこからはリアリティは生まれない」でした。

 僕にとってのこの台本の実演のレッスンは、「発表」の場であり、如何に用意周到に準備してきたものをブレることなく完遂できるか、「自分の優位性を示す」場だと思っていました。

 しかしそうではありませんでした。そこは、共演者がどんな状態であれ、一緒につくっていく「創造」の場だったのです。

 それまで、演技、特に舞台での演技では、公演ともなれば、何度も同じ演目を上演するわけで、回ごとに内容が変わって(ブレて)しまうことは、観客に対する公平性を欠くものだし、望ましいのは、回が違っても同じ内容のものを観客に提示できることだと思っていたので、

 そのブレがなるべく少なくなるように、全員が稽古を重ね、公演中は同じ内容のことを、あたかも今まさに起きているかのように演じられることが至上だし、そのためには高いレベルで作り込まれたものを精密に再現することが必須、と考えていましたが、

 それは結局、優等生的な考え方だったようです。

 確かに、上記の考え方はあながち間違いとはいえないけれど、それだけでは不十分で、各回の内容を標準化しながらも、その上で、舞台上でその時にそのキャラクターたちで、その場を感じ取りながら、有機的なやりとりをすることでリアリティが生まれる、それなくして「息をもつかせぬ、まばたきも出来ない演劇」は成し得ない、とのことでした。

※「」はこの養成所で目指すもののフレーズ

 それを知ったとき、「なんてチャレンジングで、ワクワクするんだ…これは取り組む価値を感じる!」と、僕の中で飼い慣らされて眠っていた野生がムクムクと起き上がってくるのを感じました。

 

(続きは↓)

ナラティブを終えて(その2:インプロ(即興芝居)のパフォーマンスの差し詰めの到達点と真の幕開け/ インプロとの出会い〜ロンドンでの1年間の演劇遊学) - インプロsalonのブログ

 

<以下、予定している項目>

・養成所その2 

・倫敦帰国後、インプロの洋書乱読

 ・INNERSPACEとの出会い

 ・オリ色との出会い

 ■インプロのパフォーマンスを拓いていく

・ 内輪から世間へ

■実践することと育成すること

・説得力と受け渡し

■インプロでの知見を拓いていく

・就職時に成し得なかったこと

・教えること、出来ないことが出来るようになる喜びに携わる喜び