インプロsalonのブログ

インプロsalonの公式ブログです!

ナラティブを終えて(その3:インプロ(即興芝居)のパフォーマンスの差し詰めの到達点と真の幕開け/ ロンドン〜帰国ご武者修行〜区切り))

↓の続きです。

ナラティブを終えて(その2:インプロ(即興芝居)のパフォーマンスの差し詰めの到達点と真の幕開け/ インプロとの出会い〜ロンドンでの1年間の演劇遊学) - インプロsalonのブログ

 

(↑の記事を書いたあと、稽古場で風邪をもらい…その間に、僕主演での映画撮影オファーをいただき撮影したり、某小学校への教室実践研究でインプロを実施してきたりと、バタバタしててやっとの更新です)

 

そんな状態だったので、せめて本場の(ロンドンにはウエスト・エンドという、ニューヨークのブロードウェイと対比される、ストレートプレイやミュージカルが集中している地区があります)舞台芸術は観ておこうと、

 

当時まだやっていたキャッツやら、オペラ座の怪人やら、シカゴやら、レ・ミゼラブル(一番印象に残っているのはフル・モンティです)やらを皮切りに、日本で言う小劇場にあたるフリンジの作品も良く観に行っていました。

(フリンジ公演の中には日本人の企画演出したものもあり、それが自分が日本で通っていた養成所の卒業生たちメインのものだったのを知ったときには興奮しました)

 

ちなみに日本への帰国日はハリー・ポッターの「不死鳥の騎士団」の発売日で(ヒースロー空港で特典エコバッグ付き(今も持ってる)を購入)、多動症気味なので長時間座席に座っていることが拷問に感じる僕にとって、読み耽っているうちに成田に着いたのは衝撃的で、今でも鮮明に覚えています(J・K・ローリングありがとう!)。

 

・日本帰国後、インプロ武者修行と失望

帰国してからは、手に入る限りのインプロのワークショップをやってるところにいきまくりました。といっても、当時は今とは全然違って、ある程度継続的に、あるいは集中的にインプロのワークショップをしているところは、片手で足りるくらいしか見つけられませんでした。

 

そんな中、この時期は「インプロに集中して取り組もう」と考えていた僕は、当時プログラムを受けていたこともあり、コーチングの会社や、前職の経験を生かして新卒採用支援をする会社などに、アルバイトだったり派遣社員だったりと、時間の自由が効く就業形態を選びながら、

 

なるべく開催されているインプロのワークショップには参加するというスタイルで、数年間を過ごしていました(この時期にも、身内に対しての発表会というクローズド形式ではありましたが、パフォーマンスの機会をある程度の回数は持てたことは良い経験になったと思います)。

 

ただ、時代が早かったのか、当時のワークショップの内容はまだまだインプロのゲームが中心で、たまにシーンをしたりはしましたが、養成所に通っていた頃にイメージしていた「1本のお芝居を丸々インプロでする」が出来そうだと言う内容のものには出会えませんでした。

 

また、当時のインプロは一般的には、演劇表現の中でも(今よりもさらに)下に位置づけられていた感覚があり、そのせいもあってか、僕が「この人がインプロに身を入れて活動したら、インプロの未来は明るそうだ」と感じた人は大抵、

 

活躍の場を、早々に映像や舞台に移してしまうことを繰り返し目の当たりにしては、やるせない思いを抱いていました(それで食べていっている人がほとんどいなかったので、当然といえば当然なのでしょうが)。

 

そうこうしているうちに、比較的継続して受けていたワークショップのクラスも一番上になり、また、有料の公演(当時は今と違ってすごく珍しかった)に、スポーツに模してチームで競い合うフォーマットに出演して優勝をしたこと、

 

さらに「そろそろ社会的にしっかりしないとなぁ」と感じる年齢になった(今思うと時代の違いを感じますが)こと、その割にはこのインプロという業界に将来的な広がりも感じられないようになってきていた(なので、今のインプロの業界の活況は、外から見るとまだまだの状態とは思いますが、当時からすると雲泥の差に感じます)こと

 

などなどが相まって、一旦活動を停止することにして、(当時の僕が思う基準での)いわゆるまっとうな社会人になることにしました。

 

インプロ自体は、その当時もずっと楽しくはあったんですが、楽しいだけでやっていけるとは思えなくもなってきていて、「ここら辺が潮時かな…と見切りをつけた」のでした。

 

…少なくとも、そのつもりでした。このときは。